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久山茶屋を過ぎると県道138号線に出、長崎自動車道の高架を過ぎると国道34号線と、工業団地への分岐あたりから若葉団地へ向かう道へ入ります。
若葉団地へ行く途中には昔の面影を色濃く残した赤松坂があります。この坂を登りつめたところに赤松の巨木があったところから付けられた名前と言われています。
今は坂を登りつめたところには数本の松(赤松かどうかは不明)が植えられています。若葉団地の中を抜け坂を下ると再び長崎自動車道の下をくぐり抜けます。間もなく工業団地のメインストリートに出ます。道路渡り、有田工業から金属工業団地へ入り、長菱ハイテックにぶつかったら左折し、次の角を右折します。突き当たったら左へ曲がり直ぐにまた右折します。
長崎自動車道の下をくぐり抜けてからここまでは、旧街道は途切れており分りにくくなっています。
民家の間の細い道を行くとすぐに貝津茶屋跡が民家の脇にあります。貝津川を渡り右へ大きく曲がり100mほどいくとお馬の水があります。ここは昔、殿様行列の馬や駕籠丁が一息入れたところで、現在も湧き水が出ています。昭和35年頃までは飲用にされていましたが、県総合農林試験場の豚舎の影響で水が汚れ、使用をやめたということです。
本来、長崎街道は県総合農林試験場の中を通っていましたが現在は大きく迂回するしかありません。
県総合農林試験場を突っ切って本来の街道に出た辺りにグラウンドがあり、ベンチがありようやく、座って休憩をとることができました。ついでに昼食も取りました。
昼食後、グラウンドの直ぐ近くの橋を渡ると「さやんごぜん」と呼ばれる疫病除け、道路・交通の神として道祖神が祀られているところに出ます。道は緩やかな登りとなりやがて島原街道との分岐である小船越追分に至ります。
ここから御館山のふもとまで進む1kmほどは、昔、一番狭いところは、陸地が300mほどしかなく、東からは諫早湾(有明海)が奥深く入り込み北西からは大村湾が大きく湾入していて、ここで船が渡されたといわれていて小船越の名が残ったと言われています。
ここからは住宅街を抜けて国道34号線へ出、歩道橋を渡ります。更にJRの線路も渡り、御舘山を右に見ながら進むと西諫早ニュータウンから諫早駅へ向かう道路へ出ます。今日の目的地永昌追分はこの道路の裏道を諫早駅方面へ行けば間もなく着きます。
ここまでで疲れ果ててしまいましたが、当然ここで終わりでなく重い足をで諫早駅まで歩く必要がありました。
赤松坂 | 貝津茶屋跡 |
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お馬の水 |
さやんごぜんの道祖神 |
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小船越追分の石標(左島原街道とある) |
永昌追分跡(永昌宿跡とあるが間違いじゃないか思う) |
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