平成17年7月3日 長崎街道(古賀→永昌追分) 同行者 : カワイイかみさん
古賀(09:10) → 井樋ノ尾峠(10:50) → 久山茶屋(11:33) → 貝津茶屋(12:52) → 小船越追分(13:25) → 永昌追分(14:01)
今日は長崎街道歩き2回目で前回中断した古賀から諫早永昌追分を歩きます。
朝8時過ぎに家を出、肥前古賀駅へ向かいます。ここに駐車し(1日310円で止められます)、諫早まで歩きJRでまたここまで戻ってくる予定です。
まずは前回の中断地点の「役行者神社」へ向かいます。向かう途中で何やら祭りの囃子のような音が聞こえていました。「役行者神社」へ近づくにつれ音は大きくなり新興宗教のような異様な隊列が見えてきました。「南妙法蓮華経」とか唱えているのにやたら外人の姿多いようです。近くにいる人に聞いて見ると、ストーンウォークという米国マサチューセッツ州で始まった草の根市民運動で、戦争で亡くなった全世界の市民を悼むための催しで、第5回グローバルウォークが日本で行われており、長崎を7月2日に出発し、8月4日に広島をゴールとして石を運んでいるようです。
正直関わりたくない感じなので急いで追い抜き先を目指しました。
すぐにキリシタン墓碑のある福端寺へ着きます。さらに進むと30分ほどで古賀の藤棚へ着きます。ここは長崎街道の休憩所だったらしく古賀人形が飾られていたそうですが、今は民家になっており、人形は見れませんでした。ここから10分ほど歩くと街道から外れた所に国指定重要文化財の旧本田家住宅があります。
STONE WALKの集団 福端寺

古賀の藤棚

旧本田家住宅
街道へ戻り、長崎自動車道の料金所近くの高架をくぐり抜け、植木畑や田んぼを右に見ながらしばらく進むと長崎自動車道の本線下を再びくぐり抜けます。
ここからは緩やかな登りになり井樋ノ尾心太茶屋を目指すことになります。途中に領界石があります。大村藩と佐賀藩の境界を表すようです。ここから10分も歩くと長崎街道の石標がありそこから車道を脇道へとそれた所が井樋ノ尾心太茶屋跡です。車道を真直ぐ進むと井樋ノ尾観音堂があり、湧き水を近くの人が汲みにきていました。
井樋ノ尾心太茶屋跡は昔の姿をよく残していて当時の石垣と池があり、当時トコロテンを冷やしていたという清水が湧き出ているそうです。
茶屋をすり抜け薄暗い畑のなかの小道を登っていくと先程の車道と合流します。この後、杉並木の急坂を登ると井樋ノ尾峠へ着きました。小休止をとることにしたこの峠は標高150mで眼下に大村湾を一望でき、かつては大名も籠を降ろさせて一休みしたという御籠立場の跡でもあります。更に、ここは井樋ノ尾岳への登山口でもあるようです。
小休止の後は薄暗い林を抜け、ザボン畑を抜け、清水祠を過ぎて峠の集落へ着きます。間もなく峠の茶屋跡の石標と、彼杵郡喜々津と高来郡久山を分ける郡界石が見えてきます。
ここを過ぎるとやがて街道は分岐点にさしかかります。ここは注意が必要でここを直進すると街道を外れてしまします。長崎街道はここで左戻り気味に曲がることになります。道は急な下り坂が続き、左に大きく曲がったところが久山茶屋跡になります。
植木畑 田んぼの風景()

佐賀藩の領界石

井樋ノ尾心太茶屋跡の池

井樋ノ尾峠の恩籠立場

清水祠(湧き水を汲んでいる人がいた)

郡界石

峠の茶屋跡

久山茶屋の井戸跡

久山茶屋跡