日見公園辺りは旧長崎街道は判り難く、熊本細川藩の家臣が長崎より帰郷の際、平家の落人の末裔、農民作左衛門が優れた棒術使いと聞き試合を申し込んだところ、武士が敗北し、面目を保つため切腹したことから名前がついた「腹切坂」が現れる筈ですが
見つけることができないままいつの間にか番所橋へ着いてしまいました。すぐ近くには矢上番所跡があり、江戸初期頃の矢上番所は矢上宿のはずれにあり、役人が武士、商人、旅人の往来を厳重に監視していたそうです。
橋を過ぎてしばらく行くと矢上八幡神社、矢上神社へ着く。
矢上八幡神社の見所は県下有数の楠の巨木であり、矢上神社には矢上宿跡の石標があります。
矢上宿を過ぎると長崎街道は国道を横切り八郎川に沿って続き、やがて役行者神社へ着き、この近くには領界石があり「従是南佐嘉領」と読むことができます。
今日はここで街道歩きは中断し、近くの肥前古賀駅へ向かい、浦上駅経由で松山まで戻りました。
番所橋 矢上八幡神社の大楠

矢上神社(矢上宿跡)

役行者神社